月下の花火

少しだけすれ違う二人。
Morkの過去をかなり好き勝手しております。
七夕といい願い事の話が好きだな。










11月も中旬にさしかかったある火曜日。
MorkとPiはいつものように学食で二人昼食をとっていた。
「今度の木曜日はロイクラトン祭りだよな」
そういえば、とMorkが言った。
「そうだったかな」
Piはさして興味もなさそうに答える。

「Piは毎年どうしてるんだ?」
「うーん、子どものときは家族揃ってチャオプラヤー川とかベンチャ・シリ公園とかに行ったこともあるけど」
と記憶を辿るように視線を斜め上にやってPiは答える。

「中学生くらいからは行ってないかな、Wan兄さんも家を出たし、父さんも母さんも仕事が忙しくてなかなかスケジュールも合わないしね」
ほら、人混みもすごいだろ、と笑うPi。

「Morkはどうしてるんだ?」
「俺はMeenと行ったり、友達と行ったりその年その年で違うかな。でも毎年行ってるよ」
「ふうん」
ほんの少しだけPiの声が翳った。
「どうした?」
それに気づかないMorkではない。
「本当に友だちとか弟だけとしか行ったことないのか?」
疑わしそうでもあるが、むしろそれよりもどこか寂しそうな上目遣いでPiはMorkを伺う。
「どういう意味?」
「わかってるくせに」
小さな疲れたような声。
Morkのからかいにいつもなら赤面しながら噛みつくように言い返すのに今日のPiは違った。
「じゃ、俺先に行くな」
と遣る瀬無い表情を貼り付けたまま席を立ってしまった。

予想外の行動にとっさに言葉が出て来ず、Morkは少しずつ遠ざかるPiの悄然とした背中を見送るしかなかった。

先ほどのPiの問いかけに明らかな嫉妬の気配を察してついついはしゃいでしまった。
普段の態度との違いに気付けなかった自分を殴りつけたい気分だ。

旧暦12月の満月の夜、バナナの葉などや花を使い美しい色彩で作られた灯籠を川に流し、川の女神プラ・メー・コンカーに祈りを捧げるロイクラトン祭りは、一年を通して最も華やかな行事と言ってもいいだろう。

チャオプラヤー川ではワット・アルンを始め主要な川岸の観光スポットが大掛かりにライトアップされ屋台たくさんも出て、そんな中を無数の灯籠が川面を漂うさまは神秘的で圧巻である。
また先ほどPiが言ったようにその日は尋常ではない数の人々が繰り出して街は大混雑だ。

そしてPiの顔を曇らせたのはこんな言い伝え。
「ロイクラトン祭りで一緒に灯籠を流した恋人は永遠に結ばれる」
Piが呑み込んだ問いかけ、それは
「恋人と一緒に行ったことはないのか」


常々感じているのだが、どうもPiはMorkのことを実際以上に恋愛経験が豊富だと思い込んでいるようなのだ。

確かに立っているだけで人々の視線を吸い寄せる華やかな顔立ち、長身で骨格のしっかりした抜群のスタイル。物腰も洗練されている。
また医学部に現役合格するくらい頭脳明晰で家は裕福。
まあ恋愛市場(好きな言葉ではないが)におけるロイヤルストレートフラッシュだ。
だからいくらかの交際経験はある。ないわけがない。

ただ何もしなくても向こうから積極的に働きかけてくるので、実はこれまでは常に受け身だったと思う。それもあってかあまり長続きせず、自然消滅のような格好になることが多かった。

そう、心の奥底から自分のものにしたい、と焼け付くほど恋焦がれたのはPiが初めてなのだ。

Morkと付き合うようになってPiは少しずつネガティブな発言をしなくなってきていたので油断していたのかもしれない。

ずっと自分を卑下し、否定し、それでも誰かを愛したい、愛されたい、ともがいてきたPiの心は今もなおちょっとしたことで閉ざされてしまう。

(わかっていたはずなのに)

結局その日はPiは一人で家に帰り(最近はできる限りMorkが車で送り迎えしているのだが)、Morkのメッセージにも既読はつけど返信はなかった。

寝返りばかりを打ちほとんど眠れないまま朝を迎えたMorkは、いつもよりも早くPiを自宅まで迎えに行った。


「おはよう」
門から出てきたPiに声をかける。
「…おはよう」
Piの表情はやはり浮かないままだったが、それでも返事はした。

いつになく静かに車に乗り込み、いつになく車中での会話もほとんどなく、いつもの医学部の駐車場に着いた。
「じゃ」
とそそくさと降りようとするPiを
「ちょっと待って」
とMorkは引き止めた。
振り返るPi。何も言わず見つめ合う二人。

「ないよ」
唐突に居心地の悪い沈黙を破ってMorkが言った。
不審そうにPiが改めてMorkを見る。
「何が?」 
そりゃそうだ。
(俺、こんなに緊張してたのか)
と驚きながらでもどうしてもここで言わなければ、とMorkは続けた。

「ロイクラトンに恋人と行ったことはない」
Piの切れ長の眼が不安定に揺れる。
「何?急に」 
「だってお前に誤解されたままじゃいやだ」
「Pi、よく聞いて」
Morkは彼の両肩に手を置いてゆっくりと自分の真正面に向かせる。
「確かにPiの前に付き合った人はいるよ」
Piが治りかけた傷のかさぶたを引っかかれたような顔をする。
「でもタイミングが合わなかったり、そんな気になれなかったりで二人でロイクラトン祭りに行ったことは本当にないんだ」
Morkは一息で言った。
 
すると朝なのに三日月が差したようにほんの少しだけPiの表情が明るくなる。
「本当に?」
「本当だ」
Morkは繰り返す。
Piが自身の価値と魅力に気づき、かつMorkの人生の第一命題である彼への愛を信じてもらうためならいくらでも繰り返す。
それをわずらわしいと思ったことなどない。

「今年のロイクラトンはお前と行きたいんだ」
「ふうん」
気のなさそうなPi。
でもその表情は上弦の月程度には明るくなっている。

「うーん、行ってもいいけど混んでいるのは嫌だな」
視力も悪く運動神経も決してよいとは言えないPiなら多分そう言うだろう、とMorkは予想していた。

「じゃ人のあまりいないところならいい?」
「どこか心当たりでもあるのか?」
Piを覆っていた薄雲は何とか取り払われたようだ。
好奇心を滲ませながら尋ねてくる様子に嬉しくなる。
「うん、大丈夫」
答えるMorkもいつもの冷静さとPiにしか見せない戯れが入り混じった調子を取り戻した。
「わかった。じゃあ明日お前と行くよ」
そして今度こそ車を降りたPiは一旦振り向き
「楽しみにしてる」
と遠慮がちに微笑んだ。
それだけで昨夜からの葛藤や後悔はどこへやら。
Morkは早速当日の予定について忙しく頭を働かせた。


さて翌日の授業終了後。
二人でまずMorkの家に向かい、その後中心地の賑わいからは遠く離れているものの祭りの日特有の華やぎに包まれた黄昏の郊外の街を進んだ。
何故かMorkは小さなバケツとビニール袋を手にしている。
その姿に少し不思議そうな顔をしたPiではあったがそれより何より気になるのは
「どこへ行くんだ?」
「すぐそこだから」
とMorkが弾んだ調子で答えるから、Piも何だか気分が浮き立ってきた。

「着いた、ここだよ」
そこはMorkの家から歩いて5分ほどの寺院だった。

「こんなところがあったんだな」
「いつも車で通る道からは外れてるからな、Piが知らなくて当然だよ」

確かにこぢんまりした寺院ではあったが、それでもかなりの数の灯籠が売られていて、それは今夜がロイクラトンなのだ、と実感させてくれるくらいには幻想的な眺めだった。 

近所からなのだろう、普段着姿の人々も多く特に混雑を避けるためか小さな子どもたちの姿も目立つ。全体的にのどかな空気だ。 
またお誂え向きなことにそばには小さな川も流れている。
 
「クラトンを買おうか?どれにする?」
とMorkに尋ねられ考えるPi。
すると彼がよく知るバナナの葉で作られたものとは違ったものが目に留まった。

「これはなんだ?」
「ああ、これは環境のことを考えてパンで作ったクラトンだよ」
Morkが答えると
「パン?!」
Piは思わず大きな声をあげた。
「パンなら魚の餌になるからな」
「へえ」
素直に感心している様子が幼子のようだ。

「じゃこれにする」
そしてPiは水色の、Morkは黄色のパンのクラトンを選んだ。
伝統的なものに比べたら多少繊細さには欠けるが、丸みを帯びた形が何となく玩具のような愛嬌がある。
それに買い求めた線香とろうそくを飾り、いよいよ川に二人並んで流した。
Piは自分の手を離れた灯籠の行方をじっと見つめていた。
と、慌てたように目を閉じて手を合わせた。
「どうした?」
尋ねるMorkに
「あんまり綺麗で見とれていてお祈りをするのを忘れてた」
と小さな悪戯がばれたような顔で答えるPi。
(見惚れていたのは俺の方だ)
いつものMorkなら臆面もなく口にするその台詞を、日常の延長のようなさり気なさの中にも見え隠れするこの場の敬虔さが押し止めた。

目の前を灯籠が滑るように行き過ぎる。
ふと見遣れば空には満月。
その両方に照らし出されたPiはどこかお伽話の登場人物のようだ。

「何をお願いしたんだ?」
夢の続きにいるような心持ちで尋ねるMorkに
「半分はお前と同じだと思うよ」
と照れたようにうつむいてPiは答えた。
そんなことを言われた日には我慢できずMorkはその柔らかい頬に手で触れてしまった。

「何してんだよっ、ここお前んちの近くだろうが!知り合いいっぱいいるだろ」
恥じらいを誤魔化すためPiは憤慨してみせる。
見かけほど怒っていないのは無論承知だ。
そしてMorkはPiがずっと気になっていたビニール袋から何やら取り出した。

「花火?!」
Piはかなりびっくりしている。
「小さいころはロイクラトンのときここで花火をするのが楽しみだったんだ」
さすがに爆竹や派手な吹き上げ花火はできないけどな、Morkは懐かしそうに言う。

確かに周囲を見回せば先ほど見かけた子どもたちが家族と一緒に楽しそうに花火に興じている。

「俺も随分花火なんかしてないな」
とPiも目を輝かせた。
Morkは寺院内の用水路からバケツに水を汲んできて防火対策にも抜かりはない。

「じゃ火つけるぞ」
持参したライターで点火する。
するとすぐにパチパチと小気味いい音ともに辺りが輝く。
あえて白銀のような一色のみの手持ち花火。

一本目が消えるとよほど気に入ったのかPiはすぐに次のものに手を伸ばし、Morkが持参した花火はあっという間になくなった。

「もう終わりか」
残念そうなPiだったが
「でもめちゃくちゃ楽しかったよ」
「こんなロイクラトン祭りなら毎年でもいいな」

無邪気にそんなことを言うPiが大切すぎてMorkは今すぐ思い切り抱きしめたかったが、ここは寺院。
すんでのところで何とか自制した。

「じゃ帰るか」
名残惜しそうなPiをMorkは促し来た道を戻っていく。

「で、何をお願いしたんだ?」
Morkは尋ねた。
さして答えを期待していたわけではない、と言うよりも初めてPiと一緒に祭りの夜のひとときを過ごせたことにすっかり満足していた。

だがPiは
「Morkの俺への気持ちは信じているのに」
「勝手に落ち込む自分を終わりにしたいなって」
と一言ずつ意味を確かめるようにゆっくりと答えた。

その思い詰めたような顔がMorkの胸を締め付ける。
「こんなに毎日好きだって言っているのにまだ足りないのか」
とふざけるので精一杯だ。

「そんなことは言ってないだろ!」
むきになるPi。
割とすぐにいつもの調子を取り戻せるのも、二人なりのペースで恋人らしくなってきている証だろう。

「ここまで来たらもういいだろ」
MorkはPiとバケツを持っていない方の手を繋ぎ、それは振り払われることはなかった。

「残り半分のお願いは何?」
意識して甘さを増した声で問うMork。
「さっき言ったと思うぞ」
赤くなった顔を背けてPiは素っ気無く言った。

遠い国へ向かう舟のような二つの灯籠。
互いの顔を照らした花火は月光の欠片の色をしていた。
そして下界を澄んだ眼差しで見下ろす冴え冴えとした満月。

その全ての光景は今夜もこれからもずっと二人だけのもの。
誰にも邪魔はさせない。

月下の恋人たちの世界は、時に残酷なまでに美しく排他的なのかもしれない。