魚が綴る文字

今回は
こなみさんとしをんさんのやりとりから素材をいただきました。
ありがとうございます。
お二人のお話からはかなりずれてしまったかもしれませんが、書いていてとても楽しかったです。

https://twitter.com/osakna_a/status/1514534486700363778?t=e4JBnJ6e8yaJHnQAidcbEA&s=19

今回の曲
ハッピー・エンド・レターズ/東京エスムジカ

https://music.youtube.com/watch?v=e6qf4XpnzT8&feature=share

ちなみにDueanは就職して家を出ている設定です。






(そりゃあ実習が始まったら忙しくなるのはわかっていたつもりだけどさあ)
夜もすっかり更けて、やっとのことで辿り着いたとばかりに自宅のリビングのソファに身を投げ出すように座るとPiはそのまま暫く動けなくなってしまった。
両親は既に寝室で休んでいるようで家の中はしんと静まり返っている。

それでもPiが最初にやるのは日中は見ることができないスマホのメッセージをチェックすること。
 
だが、やはり、というか待ち焦がれているそれはなくて。
(Morkも忙しいもんな)

医学部と歯学部のカップルゆえ仕方がないのだが6年生ともなると実習も
「これ仕事しているのと変わらないんじゃない」
というハードな毎日で会うことはおろか、電話で話すことすらままならない状況が続いている。

ただでさえ肩のあたりが強張っていたのに重い荷物がのしかかったようだ。

(ああ、シャワー浴びないと)
とは思うもののなかなか次に行動を移せない。

と液晶画面が光る。
(え?!)
慌てて通話ボタンをスワイプする。

「Mork!」
いつもなら照れの方が先立ってついついぶっきらぼうになりがちな応答だが今はそんな余裕はなくて、ついつい声も上擦る。

「Pi、寝てなかったんだ」
「うん、ついさっき帰ったところ、お前は?」
「俺はまだ病院」
Piと話すときはいつでも恐ろしく甘いと定評のあるMorkの声にもさすがに疲れが滲む。
「大変だな」
「外科の手術の見学だったんだけど思った以上に大変でさ、こんな時間になったよ」
「そうか」
そう言って黙り込んでしまったPi。
「どうした?」
自分だって疲れ切っているはずなのにMorkのその声はやっぱり甘くて優しい。
「いや、実習とはいえ学生のうちからこんな調子だと、」
言い淀むPi。
「うんうん」
「実際働き出したらどうなるんだろうって思っただけ」
「すれ違いで別れるカップルってこんな感じなのかな、でも無理ない気もしてさ」

すると今度は電話の向こうに沈黙が広がる。
それもただの静寂ではない。
いや、ここはThailand、南国のはずなのに伝わる空気は極北だ。

「Mork…?」
恐る恐る呼びかける。
ついさっきまで宝石のように輝いて見えたスマホまで知らない人のように素っ気無い。

「Piはこれくらいのことで俺たちが別れると思っているのか」
普段よりぐっと抑えた低い声。
だからそのブリザードみたいなのはやめてくれ。
言い返したいが整っている顔立ちなだけに怒ると否が応でも迫力があるMorkの表情が容易に想像できて何も言えない。

と、電話の向こうからMorkを呼ぶ声がした。
「じゃあ呼ばれたから行くよ」
実習班の皆とこれから遅い晩御飯をとるのだと言っていた気もするが、Morkからの寒風にさらされたPiは何も答えられず通話は終わった。

(まずい)
先程までとは違った理由で動けなくなってしまったPi。
それでもMorkと付き合うようになって4年以上。
こういうことは可及的速やかに解決しなくてはならない、とPiも学んでいる。
というか元々学習能力は高いのだ。

(とりあえずシャワーだ)
そしてそれまでが嘘のようにPiは機敏にきびきびと動き始めた。




あの何とも気まずい電話から数日が経った。
MorkもPiも相変わらず多忙を極めていて、勿論それだけが理由ではないが、メッセージのやりとりも途絶えたままだった。


(今日もPiから連絡なかったな)
自宅のガレージに車を入れエンジンを切ってもMorkは運転席に座ったまま目を閉じた。

日中はやることに追われPiのことを考えずに済んでいるが、こうして一人になるとどうしたって愛しい人の面影に心はとらわれてしまう。

(意地張りすぎたか、明日くらいにこっちからコンタクト取るかな)
もうとっくにPiのことは許している、というか最初から怒っている、というよりも自分でも驚くくらいの絶望に襲われたのだ。


幼い頃からたいして我がままも言わない聞き分けの良かったMorkが唯一ゆるがせにできないのがPiと共に歩む道程。
それに影を落とすようなことは僅かでも全力で排除するのだ。
たとえ当のPiからのものでも。

しばらくして何とか車を降り、家に入るとリビングにMeenがいた。

「お帰り、兄さん」
「ただいま」
「兄さんに手紙が来てるよ」
「手紙?」
「Piからだよ」
 我が弟なら可愛いとよく思ういたずらっぽい笑顔でMeenが言う。
しかし軽くパニック状態のMork。
「え?!何で?何でPiから?」
「落ち着いて、兄さん」
「Piから尋ねられたんだ、うちの住所」
「何があったか知らないけどPiえらく思い詰めた声だったよ」
「喧嘩したんなら早めに仲直りして」
そう言ってまた笑うとMeenは手紙はそこだよ、とテーブルの上を指差し、二階の自室へ上がっていった。

そんな気遣いのできる弟の声もろくに耳に入らず、他に誰がいるわけでもないのにひったくるようにごくごく普通の市販品の白い封筒をつかみ、何故だか震える指で中の便箋を取り出す。
そこには少し線は細いけれど几帳面なPiの筆跡があった。



〜Mork

こうして手書きの手紙をお前に書くのは初めてだと思う。
スマホのメッセージでもよかったんだけれど俺の気持ちを知ってほしいからこうして書くことにした。

この間の電話はごめん。
疲れてたとはいえ、軽率なことを言ってお前を傷つけた。

でもわかってほしい。
お前はよく
「Piのいない未来なんて考えられない」
と言うけれどそれは俺も同じだ。
というか多分俺のお前に対しての気持ちの方が重いぞ。

そりゃあ付き合い始めの頃はいろいろ不安だったし、今でも全く不安が無くなったわけじゃない。
でも俺もお前と進む未来しか見えていない。

これからも時々弱気なことも言うかもしれないけれど、どうか俺を信じて不安にならないでほしい。

何が言いたいんだか自分でもわからなくなってきたからここら辺で終わることにする。

次に長めの休みが取れたらどこか旅行にでも行こうよ。
とにかく体は大切にしてほしい。
ひとまずは機嫌を直して声を聞かせてくれないかな。

Pi〜


(できるだけ早めにラミネート加工の道具を買わなくては)
手紙を読み終えてMorkの頭にまず浮かんだのはそれだった。

魚のクリップ。
交際お試し期間の契約書。
テストのときお守り代わりに交換したPiのシャープペンシル

Piが与えてくれるものや言葉はあまねくMorkの宝物だけれど。
それにしてもこの手紙はあるいは跪きたくなるほど。
あるいは直視できなくなるほど。

あまりの重量感と眩しさに息が上手くできなくなりそうだ。

でもとにかく今は恋しい空の魚の直近のお願いを叶えなくては。
跳ねるように踊るようにスマホを片手にMorkは自室に向かいながらPiの番号をタップした。