氷が溶けるまでの役に立たない寓話

こなみさんにはいつも素敵な素材をいただいてばかりです。
これも絶対自分では思いつかないものなので嬉しかったです。
素材を話してくださっているツイはこちら↓

https://twitter.com/osakna_a/status/1530021216899465216?t=dbVUD4x8ri5bSJqoeqb0FQ&s=19

今回のBGM↓
「夜の行方」椿屋四重奏
https://music.youtube.com/watch?v=Fz5Ddt7Ou7I&feature=share







そこにあるはずの柔らかな頬とほっそりとした首筋を求めてMorkは手を伸ばす。
でも触れるのは空調によってひんやりしたシーツしかない。

「Pi?」
呼びかけた名前は頼りなく辺りを漂う。
見回すとソファに座るPiの姿があった。
「ごめん、起こしたか?」
Morkの声に気づいたのか、暗がりの中でも柔らかく微笑んだPiを感じ、そこは慣れきった自室なので明かりは点けないでMorkもベッドから抜け出して隣に座る。

「眠れない?」
Piの肩に長い腕を回し髪を撫でながらMorkは囁くような音量で言う。
「ちょっと寝つけなくてさ」
PiはMorkの肩にその涼し気な額を当ててきた。
「体しんどくないか?」
「改めて聞くな!」
少し掠れた声で気恥ずかしさを誤魔化すためいささか邪険に答えるPi。
こうした時間特有の恋人たちの他には決して聞かせられない甘ったるい会話。
端から見れば花々が咲き乱れ、小鳥たちは愛の歌を囀らんばかりの二人だろうが、微かな違和感にMorkは気づいていた。

Piとそういう関係になってから数ヵ月。
受け入れる側のPiの方がより負担が大きいこともあり、二人で欲情に身を任せたあとはMorkがPiを起こすのがお決まりであった。

それはMorkにとって意地っ張りな恋人のみどり児のごとく無防備な姿を独り占めできる貴重なひととき。

なのにいつからだろう。
朝Piの方が先に起きていたり、今のようにまだ夜も明けきらないうちに目を覚ましたりしていることが増えてきた。
そんなときのPiは寄る辺ない気配を纒っていて、でもその理由にMorkは思い当たらず、かと言ってPiに正面切って尋ねたところで答えるはずがないこともわかっている。

(もう少ししたら折を見て聞いてみるかな)
この夜もぼんやり考えて二人またベッドに入り直したのだが、Piが珍しいことにやけに可愛らしく腕枕をせがんできたのですっかり直前に考えていたことは雲散霧消してしまった。

それがーー
その日を境にパッタリと二人で夜を過ごすことがなくなった。
日中ももはや当たり前となったMorkの運転でのPiの大学の送り迎えで顔を合わすくらいで、食事にすら行かない。
明らかにPiはMorkと距離を置いている。

(さすがにおかしい)
異変に気づいたMorkはいつものように家まで送り車を降りようとしたPiを呼び止めた。

「Pi」
その固い響きと不安げなMorkの顔をPiは寂しそうな何かを諦めたような表情で、でも目を逸らすことなく見返した。

「最近どうした?」
「どうしたって?」
「俺のこと避けているだろ」
ついつい詰問口調になった自分にはっとしたMorkだったが
「気づくよな、そりゃ」
とPiに肯定され、いきなり胸に氷を当てられたような気持ちになった。
次にPiから発せられる言葉を永遠に聞きたくなくて思わず耳を塞ごうとしたが体も動きを止めている。

「別れよう、Mork」
Piは言った。
「どう、して」
やっとのことで絞り出した声はかろうじて空気を震わせた。

するとPiはひっそりと言う。
「知らなかったかもしれないけど」
「俺はお前と付き合いだしたときからいつか別れる日が来ることをいつも考えていたよ」

「俺のこと、嫌いになったのか?」
ああ、これが別れ話というものなのか、と俯瞰で自分の姿を認めながらMorkは尋ねる。
「違う」
「じゃ、なんで?」
「お前のそばにいる自分が好きになれないから」
「ううん、違うな、お前のそばにいる自分に失望しているんだ」
Piの言葉たちがMorkを徐々に、しかし確実に谷底に落としていく。

「何でそんなこと、そんなこと思うんだよ!」
血の味がする声で否定するMork。
それを妙に凪いだ眼差しで見つめるPi。

「いつからそんなこと考えてた?」
「だから最初からって言った」
「それでもMorkが俺のことを本当に好きでいてくれているんだなってだんだん実感するようになったんだ」
そう言ったPiの顔は淡く微笑んでいるのに泣いているようにしか見えない。
「じゃなぜ?」
Morkの繰り返しにさすがにいたたまれなくなったのか、Piは車の窓の外へ視線を逃がすと今度はうつむいてしまった。

「Pi」
途轍もない恐怖、そうMorkにとってはPiのいないこれからなど恐怖でしかない。
それでもここが正念場と何とかできるだけ静かに名前を呼ぶ。

「ごめん」
だがPiは一言それだけ残すと車を降り家に入っていった。




Piに別れを告げられた日。
どうやって自宅に帰ることができたのか覚えていない有様のMorkだったし、それから暫くは食事もろくに摂れないほどでその憔悴ぶりは誰から見ても明らかだった。

勿論スマホでPiにメッセージも送り続けた。
しかし既読こそつけど返事が返ってくることはなかった。


だが必死の思いで手にした空の魚をそうやすやすと手放すようなMorkではやはりないわけで。

衝撃から僅かではあるが立ち直ると、早速行動開始。
まずは情報収集だ。

幸い弟のMeenはPiの兄のDueanと恋人同士。

Meenには正直にPiに別れを告げられたことを打ち明け、Dueanを通じてPiの様子を探ってもらった。

普段から弟への愛情が過多なDueanには
「割と大きめの喧嘩をしてしまって」
と伝えてもらっている。
別れた、などと言おうものなら怒り心頭となったこの兄から情報を得るのはかなり困難となってしまうからだ。

そんなこんなの苦心の末わかったのは。
表面上は普段と変わらないが、明らかに食欲も落ち家族との会話も上の空だったりすること。
真面目に勉強はしているが、ふとした拍子にぼんやりスマホを眺めていることなど。

これらを聞いてMorkは確信した。
(Piはまだ少なくとも俺のことを嫌ってはいない)
楽観的すぎるかもしれない。
厳しい状況なのは承知だが、それでも「近くの学部の男」と名乗りSNSでのやりとりしか二人を繫ぐ糸がなかった頃と比べれば随分ましな状況だ。

そしてとうとうMorkは実力行使に打って出た。
医学部と歯学部。
学部が違えばこんなにも、というほど顔を合わすこともなかったが、週末のその日は最後の授業を終えたPiを教室の前で待ち構えたのだ。
「Pi」
怯えさせないようにできるだけ普段通り(それがどんなものだったか最早わからなくなってはいるけれど)Morkは呼びかけた。
「Mork」
彼の姿を見つけたPiはそれでも驚いた様子はなかった。
どこかこんな時が来るのを知っていたような表情は
(あの日と同じだ)
Morkは思った。

「久しぶりだな」
「うん」
Piの返事は一週間が終わった解放感でざわめく学生たちの声に消えてしまいそうだった。
「元気だった?」
「うん」
「今日これから時間ある?」
ずっとうつむき加減だったPiが顔を上げた。
「あるけど、」
「話がしたいんだ、ちゃんと」
強引なのは承知のうえ。
でもここで引き下がったら後はない、とMorkの頭の中で警報音が鳴り響く。
果たしてPiは答えた。
「いいよ」

向かった先はPiの自宅だった。
勿論Piの家族の予定は把握済み。
両親は夜勤と出張。
DueanについてはMeenにデートに誘うようお願いしたので夜遅くまで帰宅しないだろう。

そして今Piは二段ベッドの下段に。
Morkは床にクッションを置いて座り、Piを軽く見上げる格好になっている。

(痩せたよな、やっぱり)
元々男性にしてはやや華奢な骨格のPiなので少しでも体重が落ちるとすぐに見て取れてしまう。

「Pi」
Morkは切り出した。
「わかってると思うけど、俺はお前と別れる気は毛頭ない」
「でもPiをそんなになるまで追い詰めたことに気づかなかったのは俺が悪い」
「そんなことないよ」
キャンパスを出てから一言も発しなかったPiがやや強い口調で答える。
「でも諦めたくないんだ、Piのこと」
「だから聞かせて、Piの気持ちとか考えてること」
二人の間に落ちた沈黙はどれほどの時間だっただろう。

「どう、話したらいいんだか、」
とぎれとぎれのPiの声。
それでもそこにためらいはあっても嫌悪や拒絶はない、とMorkは直感した。
後は焦らずにPiから流れてくる言葉を零さないように受け止めるだけだ。

そしてPiは自らを鼓舞するように一回大きく息を吸うと意外なほど真っ直ぐMorkを見て話し始めた。

「お前と付き合うようになってから俺は少しずつ変われたと思っていたんだ」
「うん」
邪魔にならないよう静かに相槌を打つMork。
「前は自分のことが大嫌いだったけど、お前にあれだけ好きだ好きだって言われたらさ」
声こそ少し楽しげになったが、その顔は過去を懐かしむものでしかなく、Morkはまた胸に氷の刃を突き立てられる。
「俺もそんな捨てたんもんじゃないかって思えてきて」
「少しずつ自分のことを好きになり始めたんだ」
「じゃなんで、」
と言いかけて慌ててMorkは続く言葉を飲み込んだ。

「薄々はわかってたんだ」
Piはそれでも話すことは止めない。
そこに望みがあると信じたいMork。
「でもお前と、その、そういうことをするようになってからはっきりしたっていうか」
「最初のうちはなんというか、うん、わけのわからないまま終わるっていうか」
「とにかく必死でさ」
「でもそのうち気づいたんだ」
「お前は俺のことばかり気遣って自分のことは後回しなんだ、そういう時でも」
「セックスのときすらそうならお前はいつ自分の本当の気持ちや姿を見せてくれるんだろうって考えていたら段々辛くなったんだ」

こんな関係はやはり歪だと。
今は良くても後々になって取り返しのつかないことになると。
Morkが後悔する前に二人の関係を終わらせようと。
自分の出した答えを相変わらず小さな声ではあったがPiははっきりと告げた。

押し寄せる後悔は激流となってMorkを襲う。
まるで間違った範囲を勉強していた試験問題を配られた気持ちだ。
どこから手を付けたらいいのだろう。
ただテストと異なるのは答えは自分とPiの中にしかなくて、それを二人で見つけていかなければならないこと。

「Piは」
あの日の車の中よりは声の震えは抑えられていただろうか。
「Piはそんなふうに思っていたんだな、そう思わせたのは俺だ」
「でもPiとセックスをするようになって俺はもっと幸せな気持ちになったよ」
「ただどうしてもPiの方に負担がかかるだろ?」
だから自分本位な行為でPiが嫌な思いや辛い思いをしてもうしたくない、と言われるのが怖かった。
一片の曖昧さも残さないようMorkはゆっくりPiに胸の内を打ち明けた。

また二人の間に静寂が広がる。
Piの色を失った切れ長の目に水の膜が張られてきた。

「それでもやっぱりPiは俺と別れたい?」
それが合図となってPiの目から涙が流れ始めやがてか細い嗚咽となる。

「これから先」
「お前ほど俺を好きになってくれる人なんて現れないのはわかってる」
「お前と付き合うようになって」
ー俺は一生分の愛情をもらったからー


とうとう我慢できなくなって恐る恐るMorkはPiの固く握られた涙で濡れている膝の上の拳にそっと触れる。
PiはMorkの手を振り払うことはなかったけれどそれがなぜなのか今はMorkは知りたくなかった。

「Pi」
「ずっと言っているけどお前のいない未来なんて俺にとってなんの意味もないんだ」
そしてティッシュを取ってくると涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったPiの顔を優しく拭った。

「でも俺は将来後悔するお前を見たくない」
「何で後悔するって決めつけるんだ」
「これはPiだけが答えを出していい問題じゃないだろ」
すると泣き濡れていたPiが思わずといった風情で顔を上げた。

「これは、これこそは二人で話し合っていかなきゃいけない問題だよ」
「そう、なのか」
褪せた昔の写真の中の人物だったPiの表情が少しずつ鮮やかさを取り戻す。

(今だ!)
Morkは心の中で叫ぶと
「そうだよ」
穏やかだけれど今日で一番断固とした声音で言った。

Piの泣き声と鼻をすする音が少しずつ小さくなる。
その間中Morkは手の甲をそっと撫でていた。
いつしか頑なな拳は解かれ、悲しみにくれていたPiの顔は今はただ途方に暮れている。

また二人の間に落ちる静寂。
でも先程までの胸を掻きむしられるような絶望感は薄れている。

とうとう覚悟を決めたMorkは言った。
「外に行こう、Pi」
「どこへ?」
「これ以上Piを不安にさせないために俺にできることをさせてほしいんだ」
困惑を全身で表しながら、Piはかろうじてざっと顔を洗い制服から私服に着替えた。




そして今二人がいるのはいわゆるラブホテルの一室。
事情に疎いPiでもさすがにここがどういう場所かはわかる。

一見普通のホテルと変わらないし部屋も置いているアメニティも清潔だ。
でもここに入るまでの流れは徹底的に従業員と顔を合わさなくていいシステムになっている。
(とは言え泣き疲れて上手く頭が回らないPiは全てMorkに任せきりだったが)

二人並んでベッドに座りMorkはまた優しくPiの手を撫でる。
怖さはなかったがMorkが何を考えてこんな場所に来たのかわからなくてうろうろと視線が定まらないPi。

「Pi」
Morkが決意を秘めた芯のあるそれでいて柔らかい声で自分の名を呼ぶ。
「何でここに来たのか、って思ってる?」
ただ頷くだけのPi。
「Piが言っただろ?」
「Piと寝るときも俺は本音を隠してるって」
「さっきも言ったけど俺の本当の姿を見たらPiに嫌われそうで怖くて」
「確かにどこか自分をセーブしていたかもしれない」
「でもそのことがPiに別れようって言わせるほど追い詰めていたんなら」
ー俺も覚悟を決めたー
Morkの完璧な二重に縁取られた大きな目が強く熱くそして妖しく光り、Piは視線を外せない。

「100%は無理かもしれないけど」
「できるだけ自分のしたいこと、Piにしてもらいたいことを言うから」
「Piも同じようにして」
こんなことを言うには酒の勢いか雰囲気を作って勢いをつけるしかないだろ。
ここに来た理由をMorkはウィンクに紛れて告白した。



Morkは事前にあんなことを言ったけれどやはり行為の最中とても優しかった。

でもそれまでとは明らかに違っていて。
特に恥ずかしいからと顔が見える体勢を嫌がるPiに有無を言わさず正面を向かせたときは体全体が沸騰しそうだった。

ベッドのスプリングが軋む音がやけに扇情的だ。
汗に濡れて額に貼り付く幾筋かの前髪。
押し寄せる快感に抗うようにでも余さず味わうように悩ましげに寄せられる眉根。
初めて見るこんなにも余裕のないMorkの顔。
それらがPiにもたらしたのは。
他の人が決して見ることがかなわない愛しい人の姿態を独占できる疼くような優越感と、
余計な躊躇などなくお互いの体を貪ることだけに集中できる深い深い安堵だった。
そのうちPiの体の奥からもこれまで経験したことのない慄きと紙一重の悦楽が背筋を駆け抜け、己のものとは信じられない切羽詰まった声を上げPiの意識は空白となった。



やがてあまりに強烈な倦怠感に苦心しながらPiは目を開けた。
自室ともMorkの部屋のベッドとも違う手触りのシーツ。
何やかんやでどろどろだった自分の体はいつものようにさっぱりと拭き清められている。

それをしてくれた当の本人は絶対に痺れているであろうに、寝顔でもわかるくらい幸せそうにPiの頭を腕に乗せている。

Piは息すらかかる距離にいるMorkの存在に現実感が持てず、うるさげに閉じた目かかる前髪をそっと払ってみる。
すると途端に狂おしいひとときの合間に見た額をつたう汗を思い出し羞恥で体温が一気に上がる。
Morkを起こさないようにPiはそっと深呼吸を繰り返し、少し落ち着いたタイミングで昨日の放課後からの出来事を反芻する。

(これって傍から見ればセックスに持ち込まれてなし崩し的によりを戻したってことになるのかな)
わざと自虐的に声に出さず呟く。
決して嫌な気持ち、ましてや後悔などは微塵もなかった。
それより何より明らかにMorkが今までになく我を忘れて体を重ねることに没頭していることが嬉しかった。
心の底から嬉しかった。

Morkと付き合うようになってから、いや、付き合う前から一貫して彼はPi至上主義だ。
その姿勢にときに戸惑い、ときに呆れ、大事にされ過ぎてふわふわと浮遊している気持ちになったりもしながら、いつでも胸は温かいもので満たされていた。

しかしある時気づいたのだ。
Morkがとにかく自分のやりたいこと、食事のメニュー、デートの行き先、大学帰りの買い物のとき店を回る順番など些細なことではあるが希望を口にすることが殆どないこと。
一度気づいてしまえばそれからのPiはいつか必ず覚めることが決まっている夢の住人だった。
どんなに今が幸せでも終わりが決まっている絶望が少しずつPiを蝕んでいった。

だからせめて文字通り身も心も裸になる時間くらいは、Morkの中に確実にあるだろう欲や本音を見せてほしかったのだ。
それすら叶わなかったとき、Piの世界から色も音も光も消え去った。
もらってばかりの自分がこれから先Morkの隣に立っていられるとは思えなくなった。

二人の間には紗幕があってそれはすぐに破れそうなのに手強くて、いつしかPiは破ろうとする努力に疲れ果ててしまった。
でも破る必要なんてなかったのだ。

ブラインドをするする引き上げるような紐を紗幕にも備えたらよかっただけ。
しかも一人だけではなくて二人で。

そんなわかってしまえば拍子抜けする簡単なことを教えてくれたのがついさっきの時間。
とてもじゃないが全部はっきり覚えているわけではないが、お互いにしてほしいことやしてほしくないこと、触れてほしいところやその力加減を懸命に確認し合って、それが一層快感を高めることになったのだから。

(こういうときくらいもっと我がままになってくれたらいいのに)
また声にならない呟きが聞こえたわけでもないだろうがMorkがふと目を開けた。

「Piだ、Piがいる」
あどけなく囁くと少々柔らかさがなくなったPiの頬をゆっくり撫でる。
「しんどくない?大分無茶したから」
「大丈夫だ、何だ後悔しているのか?」
殊更無愛想に言ってみる。
「おっ、いつものPiだ」
Piの反応なんて折り込み済みだと言わんばかりの満ち足りた顔。
でもすぐに至極真面目な表情になったMorkは
「もう別れるなんて言わないよな、Pi」
おずおずと尋ねる。
「それ聞くか?この状況で」
平素余裕綽々で活き活きとPiをからかってばかりなのに、時々自信なさげに弱々しく尋ねてくるMork。
(俺ばかりが心配したり不安になっているわけじゃないんだ)
「そんなことにも気づいてなかったんだな」
「え?」
Morkの聞き返しには答えずPiは肘をついて半身を起こすとMorkの額にキスをする。
「お前が、えっと、うん、さっきみたいにするんなら別れない」
Piの言葉にただでさえ大きなMorkの目が丸く瞠られる。
やがてまさに「相好を崩す」を絵に書いた様子となりニヤけながら
「そうかそうか、Piは意外と激しいのが好きなんだな」
「また、すぐそういうことを言う!」
「いい加減にしろ!」
恥ずかしすぎてPiはMorkに背中を向けてしまう。
と長い両の腕が体に回されPiはあっという間に甘美な囚われの身だ。

耳のすぐ後ろから一種独特の深みがある大好きな声がする。
「俺もこれからはできるだけ自分の気持ちを言うようにするよ」
「でも覚えていて」
「Piがしたいことができて楽しく毎日を過ごすことが俺の一番の幸せなんだ」
「ひとまずセックスのときはやりたいことを素直に言うよ」
「その方が盛り上がるし、Piも気持ちよさそうだし」
あけすけな内容に反してひどく真摯な響きにPiは自分に巣食う暗渠がどんどん小さくなる気がした。
体を繋ぐことが全てじゃないけれど、それでしかわからない幸福もある。
勿論その相手はMork以外は願い下げだ。
まあ調子に乗るから今は教えてやらないけれど。
「お前だってそうだろ」
だからただそうPiは不服げに返したが続きは流石に少し声を潜めた。
「最中にお前の顔を見るの、好きかもしれない」
見ていなくてもMorkが息を呑んだのがわかった。
途端に抱きしめる腕の力がぐっと強くなる。
「Pi、まだ朝早いからさ」
「もう一回しよう!」
「は?!バカじゃないのか!無理に決まってるだろっ!」
「煽ったのはPiだ」
「煽ってない!お前と違って俺は本音をちゃんと言うだけだ!」
くだらなさゆえにとても余人には聞かせられない発展途上の恋人たちの、言い争いという名の愛撫は暫く続きそうだ。

胸の氷が溶けたことをようやく実感したMorkがどれほど晴れやかな顔をしていたのか、Piがそれを知るのはほんのもう少し先のこと。

代わる代わるの指輪

5月23日はキスの日ということなので。






先にシャワーを済ませ、ヘッドボードに背中を預けて本を読んでいたMorkの横に仄かにシャンプーの香りを纏ったPiが滑り込んできた。
何の気負いもない流れるような動作。
それでも主に夜勤など不規則な勤務体系の医師のMorkと、今は大学で研究者として働いているPiの二人にとってはこの当たり前の夜がなかなかに貴重なのだ。

そしてサイドテーブルにごくシンプルなプラチナの指輪を通したこれまた華奢な同素材のチェーンを置いた。
その星が瞬くような月明かりが微かに軋むような音が合図となって。
Morkは傍らに本を置くとそっとPiの左手を取りほっそりとした薬指の付け根あたりに恭しくキスをする。

「寝るタイミングが同じときにはいつもそれをするよな」
Piの少しだけ呆れた声の響きはかえって愛おしさを強調する。

「本当だったらいつもつけていてほしいけど職業柄そういうわけにはいかないだろ」
わざとらしく恨みがましい上目遣いでMorkはPiを覗き込む。
するとPiはやれやれとばかりに微笑むとブランケット越しに自分の膝を叩いた。

「俺は猫かよ」
それでも猫というよりは大型犬のように忠実にはしゃぎながらPiの膝に頭を乗せる。

見上げればそこにはいたずらっぽい瞳の色をしたPiがいてMorkの左手の薬指をなぞり持ち上げたかと思うと
「いつもしてたらここら辺に跡がついているものなんだろうな」
と言って見えない痕跡に静かにキスをした。

一瞬Morkの顔からあらゆる表情が抜け落ちる。
その後はやおら起き上がるとPiを強く強く抱きしめ
「Pi、可愛い!何でいつまでたってもそんなに可愛いんだ」
「でも明日も仕事だからこれ以上何もできないし」
などと愚にもつかない言葉を羅列して
「早く寝ろ」
とPiにごく軽くではあるが額をはたかれたMorkではあった。

そんな二人を並んだ2つの指輪は溜息をつきながら見守るかのように時々光を零していた。

君の知らない夜 これから知る明日

診断メーカーが出してくれたお題
「愚者の恋」
をモチーフに書いてみました。

診断結果はこちら↓
https://twitter.com/yoshinashigmto/status/1524574599534456832?t=PZb2OjLrL0t8xWBUCdVHBw&s=19





いつものようにMorkは
「ファンディーナ」
と囁き電話を切った。

それからPiは二段ベッドの上でもう寝ている兄のDueanを起こさないように電話をしていたベランダから部屋に戻り自分も身を横たえる。


ついさっきの一日の終わりの挨拶の名残がふわふわと音符のようにPiの周りを飛び回る。

そのピアニシモに耳を傾けながら何とはなしに自分の手を顔の前にかざしてみる。

照明を落とした仄暗い部屋に浮かび上がる指や爪の形。
手のひらの皺。
そんな目の前にあるものが記憶の残像と上手く結びつかない。

(俺の手ってこんなだったっけ?)
思いながらPiは指の輪郭をもう片方の指で撫でて確かめてみる。

するとーーー
いや、本当はわかっていたのだ。
そんなことをすればどうしたってMorkが自分の手に、指に、頬に、唇に、触れるときを思い出すと。

その先にあるむず痒いような甘さとでもそれだけではない欲が自分の中に湧き上がってくることも。

Morkにかかると見慣れていたはずのたいして好きでもない(以前ほど嫌ってもいないけれど)体の一つ一つがまるで知らないもののように映る。


(まずい、このままじゃ眠れなくなる)
取り巻く音楽はいつの間にかメゾフォルテくらいになってきている。

でも上では兄が眠っているし、かと言って欲望を処理すべくこんな時間に浴室に飛び込んだらDueanに気づかれてしまう。

自室のベッドで密かに切羽詰まっているPi。


とそこへ
「わかってるよ!ちゃんと今朝は歯を磨いたよ!」
やけにはっきりと得意気な声が聞こえた。

驚いてPiは起き上がりベッドを降りて上の段の兄の様子をそっと伺う。
すると声の主は何事もなかったかのように軽いいびきをかきながらすやすや眠っている。

(ったく)
拍子抜けしながら、でも救われた心持ちのPi。


ベッドに入り直し今度こそ優しいセレナーデになってくれた恋人の声を思い出し小さな声で
「ファンディーナ」
と意識してゆっくり発音してみる。


恋を始めたてのPiにとってMorkからもたらされるものは知らないことばかり。
自分の不甲斐なさに右往左往するのはしょっちゅうだけれど。
それでも外国語の単語を一つずつ覚えていくような。
引っ越したばかりの街の道を一本ずつ覚えていくような高揚感。
もっと有り体に言えばまだ決して多くはない二人きりで過ごした夜が甘やかに容赦なく剥ぎ取る果ての見えない熱情。

そんなものたちに翻弄されるのが快いなんて、まだMorkには言えないのだが。

でもとにかく今のPiは夢の国の手前。
恋愛は時に信じられなような力をくれると同時にひどく体力気力を消耗するものでもあるので。

(Morkがいなかったら知らないってことを知らなかったんだよな)
哲学的と言えなくもない、それにしてはいささか不埒な気持ちのままMorkの仕草を真似るように親指で唇をなぞりながらPiは眠りについた。

魚が綴る文字

今回は
こなみさんとしをんさんのやりとりから素材をいただきました。
ありがとうございます。
お二人のお話からはかなりずれてしまったかもしれませんが、書いていてとても楽しかったです。

https://twitter.com/osakna_a/status/1514534486700363778?t=e4JBnJ6e8yaJHnQAidcbEA&s=19

今回の曲
ハッピー・エンド・レターズ/東京エスムジカ

https://music.youtube.com/watch?v=e6qf4XpnzT8&feature=share

ちなみにDueanは就職して家を出ている設定です。






(そりゃあ実習が始まったら忙しくなるのはわかっていたつもりだけどさあ)
夜もすっかり更けて、やっとのことで辿り着いたとばかりに自宅のリビングのソファに身を投げ出すように座るとPiはそのまま暫く動けなくなってしまった。
両親は既に寝室で休んでいるようで家の中はしんと静まり返っている。

それでもPiが最初にやるのは日中は見ることができないスマホのメッセージをチェックすること。
 
だが、やはり、というか待ち焦がれているそれはなくて。
(Morkも忙しいもんな)

医学部と歯学部のカップルゆえ仕方がないのだが6年生ともなると実習も
「これ仕事しているのと変わらないんじゃない」
というハードな毎日で会うことはおろか、電話で話すことすらままならない状況が続いている。

ただでさえ肩のあたりが強張っていたのに重い荷物がのしかかったようだ。

(ああ、シャワー浴びないと)
とは思うもののなかなか次に行動を移せない。

と液晶画面が光る。
(え?!)
慌てて通話ボタンをスワイプする。

「Mork!」
いつもなら照れの方が先立ってついついぶっきらぼうになりがちな応答だが今はそんな余裕はなくて、ついつい声も上擦る。

「Pi、寝てなかったんだ」
「うん、ついさっき帰ったところ、お前は?」
「俺はまだ病院」
Piと話すときはいつでも恐ろしく甘いと定評のあるMorkの声にもさすがに疲れが滲む。
「大変だな」
「外科の手術の見学だったんだけど思った以上に大変でさ、こんな時間になったよ」
「そうか」
そう言って黙り込んでしまったPi。
「どうした?」
自分だって疲れ切っているはずなのにMorkのその声はやっぱり甘くて優しい。
「いや、実習とはいえ学生のうちからこんな調子だと、」
言い淀むPi。
「うんうん」
「実際働き出したらどうなるんだろうって思っただけ」
「すれ違いで別れるカップルってこんな感じなのかな、でも無理ない気もしてさ」

すると今度は電話の向こうに沈黙が広がる。
それもただの静寂ではない。
いや、ここはThailand、南国のはずなのに伝わる空気は極北だ。

「Mork…?」
恐る恐る呼びかける。
ついさっきまで宝石のように輝いて見えたスマホまで知らない人のように素っ気無い。

「Piはこれくらいのことで俺たちが別れると思っているのか」
普段よりぐっと抑えた低い声。
だからそのブリザードみたいなのはやめてくれ。
言い返したいが整っている顔立ちなだけに怒ると否が応でも迫力があるMorkの表情が容易に想像できて何も言えない。

と、電話の向こうからMorkを呼ぶ声がした。
「じゃあ呼ばれたから行くよ」
実習班の皆とこれから遅い晩御飯をとるのだと言っていた気もするが、Morkからの寒風にさらされたPiは何も答えられず通話は終わった。

(まずい)
先程までとは違った理由で動けなくなってしまったPi。
それでもMorkと付き合うようになって4年以上。
こういうことは可及的速やかに解決しなくてはならない、とPiも学んでいる。
というか元々学習能力は高いのだ。

(とりあえずシャワーだ)
そしてそれまでが嘘のようにPiは機敏にきびきびと動き始めた。




あの何とも気まずい電話から数日が経った。
MorkもPiも相変わらず多忙を極めていて、勿論それだけが理由ではないが、メッセージのやりとりも途絶えたままだった。


(今日もPiから連絡なかったな)
自宅のガレージに車を入れエンジンを切ってもMorkは運転席に座ったまま目を閉じた。

日中はやることに追われPiのことを考えずに済んでいるが、こうして一人になるとどうしたって愛しい人の面影に心はとらわれてしまう。

(意地張りすぎたか、明日くらいにこっちからコンタクト取るかな)
もうとっくにPiのことは許している、というか最初から怒っている、というよりも自分でも驚くくらいの絶望に襲われたのだ。


幼い頃からたいして我がままも言わない聞き分けの良かったMorkが唯一ゆるがせにできないのがPiと共に歩む道程。
それに影を落とすようなことは僅かでも全力で排除するのだ。
たとえ当のPiからのものでも。

しばらくして何とか車を降り、家に入るとリビングにMeenがいた。

「お帰り、兄さん」
「ただいま」
「兄さんに手紙が来てるよ」
「手紙?」
「Piからだよ」
 我が弟なら可愛いとよく思ういたずらっぽい笑顔でMeenが言う。
しかし軽くパニック状態のMork。
「え?!何で?何でPiから?」
「落ち着いて、兄さん」
「Piから尋ねられたんだ、うちの住所」
「何があったか知らないけどPiえらく思い詰めた声だったよ」
「喧嘩したんなら早めに仲直りして」
そう言ってまた笑うとMeenは手紙はそこだよ、とテーブルの上を指差し、二階の自室へ上がっていった。

そんな気遣いのできる弟の声もろくに耳に入らず、他に誰がいるわけでもないのにひったくるようにごくごく普通の市販品の白い封筒をつかみ、何故だか震える指で中の便箋を取り出す。
そこには少し線は細いけれど几帳面なPiの筆跡があった。



〜Mork

こうして手書きの手紙をお前に書くのは初めてだと思う。
スマホのメッセージでもよかったんだけれど俺の気持ちを知ってほしいからこうして書くことにした。

この間の電話はごめん。
疲れてたとはいえ、軽率なことを言ってお前を傷つけた。

でもわかってほしい。
お前はよく
「Piのいない未来なんて考えられない」
と言うけれどそれは俺も同じだ。
というか多分俺のお前に対しての気持ちの方が重いぞ。

そりゃあ付き合い始めの頃はいろいろ不安だったし、今でも全く不安が無くなったわけじゃない。
でも俺もお前と進む未来しか見えていない。

これからも時々弱気なことも言うかもしれないけれど、どうか俺を信じて不安にならないでほしい。

何が言いたいんだか自分でもわからなくなってきたからここら辺で終わることにする。

次に長めの休みが取れたらどこか旅行にでも行こうよ。
とにかく体は大切にしてほしい。
ひとまずは機嫌を直して声を聞かせてくれないかな。

Pi〜


(できるだけ早めにラミネート加工の道具を買わなくては)
手紙を読み終えてMorkの頭にまず浮かんだのはそれだった。

魚のクリップ。
交際お試し期間の契約書。
テストのときお守り代わりに交換したPiのシャープペンシル

Piが与えてくれるものや言葉はあまねくMorkの宝物だけれど。
それにしてもこの手紙はあるいは跪きたくなるほど。
あるいは直視できなくなるほど。

あまりの重量感と眩しさに息が上手くできなくなりそうだ。

でもとにかく今は恋しい空の魚の直近のお願いを叶えなくては。
跳ねるように踊るようにスマホを片手にMorkは自室に向かいながらPiの番号をタップした。

かりそめの星でも

プラネタリウムに行くMorkPiの話

今回の曲はこちら↓

流星都市/DAOKO

https://music.youtube.com/watch?v=-5bLLwkaWxs&feature=share





久しぶりに本当に久しぶりに休日の予定が合ったその朝。


朝食を食べながらMorkは向かいに座ったPiに
「今日はどうする?Pi、何かしたいこととかある?」
と尋ねた。
「行きたいところならある」
Piにしては珍しく即答したので少しだけMorkはその完璧な二重に彩られた大きな目を見張った。
「そうなんだ?どこ?」
プラネタリウムに行きたい」
行き先としてはPiらしいな、と思った。
結果歯科医の仕事を選んだけれど彼は昔から自然科学全般に興味があって、動物や天文関係の番組もよく見ているのだ。

果たして二人は市内でも有名なプラネタリウムにやって来た。
ここは博物館や科学センターも併設されていて、近隣で育った人間なら学校の課外活動などで一度は訪れたことのあるお馴染みの施設である。

週末ともなるとかなり混雑するのだが、幸い今日は平日なのでさして待つこともなく希望の時間の回に入場することができた。

「ずいぶんきれいになってるな」
Morkは物珍しそうに周囲を見回す。
「何年か前にリニューアルしたらしい」
PiはそんなMorkを可笑しそうに眺めながら答えた。
そんな会話を交わしていると程なく館内が暗くなり上映が始まった。
座り心地のいい椅子。
ゆったりとした音楽。
ドーム状の空間に映し出される文字通りの満点の星空。
その光がより強くなったときにだけ傍らのPiの顔が明るく照らされる以外は周囲はほとんど見えなくて、まるで二人きりで漆黒の宇宙空間に漂っているような錯覚を覚える。

真空でもきっとPiの声は聞こえるはずだ。
およそ医師とは思えない非科学的なことをつらつら考えながらそっとPiの手を握ると、一瞬Morkの顔を咎め立てするように軽く睨んだがすぐに表情を緩めるとそっと握り返して来た。


「Mork、Mork起きて」
耳元でPiの声がする、とMorkは重い瞼をゆっくり開けた。
見回せばプラネタリウムの上映は終わり照明も点いていた。
「ああ、寝てたのか、子どもみたいだな」
Morkが少しバツが悪そうに言うと
「気にするな」 
とPiはふわりと微笑んだ。


その後はプラネタリウム近くのカフェに行き二人はテラス席に座った。
運ばれてきたアイスコーヒーを飲むMorkの顔をPiはやけにしげしげと見つめてくる。
「どうした?」
尋ねるMorkにPiは
「何でもないよ、いい天気だなと思って」
「確かに」
答えながらMorkはぐるりと辺りを見回し、髪を揺らす風の行方を探すように視線を上に向けた。

「やっと上を向いた」
安堵と疲れがないまぜになった声でPiが言った。
「え?」
「Morkお前気づいてなかっただろ、ここのところ下ばかり向いてた」
「働きすぎなんだよ、自分の顔ちゃんと見てみろよ!」
少しだけ語気を強めると、でもそれとはまるで反対に愛おしげな指先でPiはMorkの目の下をなぞった。
「隈ひどいし」 

そうなのだ。
Morkの勤務する総合病院が様々な要因が重なって人手不足が著しくなり、Morkは一ヶ月近くまともな休日がなかったのだ。
その間Piは何も言わなかったのだが、どれだけ心配をかけていたのかここに至ってMorkはひしひしと感じていた。

「ごめん、Pi」
「謝ることない。でも」
少し姿勢をただし真っ直ぐMorkの顔に視線を当て
「仕事熱心なのもたいがいにしろよ、まず自分を大事にしないと」
と穏やかにでもきっぱりとPiは言った。
「わかりました」
その静かな迫力に気圧されて思わず敬語になってしまったMorkにPiは声を立てて笑ったのでやっとMorkはほっとした。

(それにしても)
Morkはつい先程のPiの言葉を受けて殊更意識しながら顔を上に向け、どこまでも青い迷いなく晴れ渡った空を目をやって出会った当時のPiを思い出していた。

いつも自信なさげに伏し目がちだったあの頃のPi。
そんな彼にまさかもっと顔を上げてと。
自身や周囲の人々の思いや日々の積み重ねをもっと大切にしてと。
そんなことを言われるようになるとは。

しみじみ感慨に耽り黙ってしまったMorkをまた気遣わしげに覗き込むPi。
「どうした?疲れたのか?」
「ううん、大丈夫」
きっと今の自分はこの空のように一片の憂いもない笑顔のはず。
そう確信してMorkは言葉をつなぐ。

「よく言われることだけどさ」
「うん?」
「今みたいな昼間でも星は光っているんだよな、見えないだけで」
「うん、そうだけど」
少し不思議そうなPiに
「いや、Piにこんなに心配かけていたのに気づいていなかったんだな、と思ってね」
Morkはより笑みを濃くしながら言う。
「何でもない」
「さあ、買い物して帰るか、今夜は俺が晩飯作る」
「お、おう」
今一つ納得していない様子のPiだったが、いつもの快活さを取り戻したMorkに嬉しさがこぼれているのがわかる。

Morkが気づいていようと気づいていまいとそんなことはPiにはきっと些細なことなのだ。
日中の星のようにひっそりとでもいつだって優しくMorkを見守っていてくれる。

そんな星の煌めきを纏った空の魚を捕まえた自分の粘りと幸運にまたまた密かに喝采を送ったMorkではあった。

蓮花の陰で

MorkとPiがロイクラトン祭りに行った同じ寺院が舞台です。
こぢんまりしたところに設定したのに各種取り揃えさせてごめんなさい、の気持ちです(笑)


確か3回目のワンドロ企画参加です。
テーマ「独占欲」

今回のBGMはこちら↓
椿屋四重奏"CRAZY ABOUT YOU"
https://music.youtube.com/watch?v=fzqwNK9bsJg&feature=share





いつもように授業終了後MorkがPiを自宅まで送って行く車の中、Morkが言った。
「あのさ、ロイクラトン祭りに行った寺があるだろ」
「うん」
あの満月の夜のことを思い出すのか、少し照れたようなPi。
「そこに池があるんだけどさ」
「今蓮の花がきれいなんだよね」

するとPiの表情が好奇心に取って代わった。
「見たいな」

「ただ朝早くじゃないと駄目なんだ」
「昼頃にはしぼんでしまうから」

「じゃ、前の晩からお前の家に泊まって早起きしたらいいじゃん」
多少顔を赤くしながらでもそんなことを言えるようになったPiに深い感慨を覚えるMork。

「お前の方からそんなことを言うとはな」
「な、なに言ってんだよ!」
「朝寝坊して見れなかったらつまんないだろ」
と焦って落ち着きがなくなるPi。

すると車が止まった。見ればPiの家の前。
「Morkは俺と一緒に見たくないのか」
甘えたような、自信なさげな様がいっそ誘惑しているかのような上目遣い。
(絶対誰にも見せたくない)
もう何度目なのか、数える気などとうに失せているその思いを新たにするMork。


「そんなわけないだろ」
「そもそもこの話を言い出したのは俺だし」
そう言うとMorkはPiの柔らかい頬に別れ際のキスをした。

そんな顛末を経て二人はMorkの家の近くの寺院を再び訪れた。



 
早朝。
さして広くない池を埋め尽くす赤い蓮の花の群れ。
深夜少し雨が降ったからか濃い霧が周囲に立ち込めている。

お陰でそう多くはないものの、この神秘的な光景に惹かれ訪れている人たちも、今はぼんやりとした輪郭でしかない。

(このまま霧が晴れなければいいのに)

しかしMorkの願いも空しく周囲は少しずつ明るさを増し、その代わりあの世とここを結ぶ赤いみなもが鮮やかに目を射る。

「すごいな」
極楽浄土を象徴する花々に心奪われているPi。
その横顔は清冽で本当に本当に綺麗だ。
引き換えMorkは自分が見せたいと望んだそれにまで嫉妬しそうな気持ちを必死に飲み下す。 

そしてPiの腕をつかもうと伸ばした手を思わず下ろしてしまった。
乳白色の帳に愛しい人をずっと閉じ込めたいという気持ちが指先から伝わりそうで触れるのを躊躇わせた。

「Mork?」
怪訝そうな顔で小首をかしげるPiだったが、少しはにかみながら自分の方からMorkと手をつないだ。
「まだ霧が残っているから」
世界で一番可愛い言い訳をするその人を思いっきり抱きしめたい衝動を最大級の理性で押さえつける。

Piはいつもそうだ。
Piの髪の毛一筋、爪の一片、実はくるくると表情を変える瞳の一瞬一瞬、それら全てを自分だけのものにしたくて、そんな気持ちを抱くことを嫌悪したり反省したりはしないけれどさすがに空恐ろしくなることもある。

すると何も知らないはずのPiが絶妙なタイミングでMorkを赦してくれるのだ。

胸の奥底に流れる暗渠もそれはPiへの際限の無い愛ゆえだ、と誰ともなく弁明する自分は狡いのかもしれないけれど。

でも今はこのときは。
「うん、これならまだ周りに気づかれないな」
いつものようにMorkは甘やかにPiに笑いかけると、手を取り合って朝の光の中を二人は少し早足で進んだ。

羽づくろいの夜

たまこさんのフリー?素材をいただきました。
えらい重い話になったかも。

この曲を聴きながら書きました↓

https://music.youtube.com/watch?v=Ytaxk7dDFVg&feature=share






今夜のPiは疲れ果てている。
大学病院での実習の後、レポート発表の担当班のメンバーとなり一週間近く多忙で知られる医学部のMorkから見ても大変な日々だった。
そんなこんなも本日無事発表を済ませ、終わりを告げた。 

その後は待ち構えていたMorkにさっさと連れ帰られた。
(途中で夕食はテイクアウトはしたが)

帰宅すると二人で夕食を食べ(MorkはPiのことばかり気にかけていたが)、シャワーを終え、王家への捧げ物よろしくバスタオルを両手に掲げて待っていたMorkに今は髪を拭いてもらっている。
「えらく手触りがいいな」
バスタオルに触れたPiが言うと
「お前が泊まりに来たときに使ってもらおうと思って」
「また、俺なんかのために無駄遣いして」
大体今着ている水色のパジャマだってスーピマコットンとやら言うとろけるような素材のものだ。
「Piが快適に過ごせるためのものに無駄遣いなんてことはない」
と嬉しそうにしかし一片の迷いもなく言い切るMork。

こういう彼に何を言っても無駄なことはさすがにわかってきたPiなので、そのまま黙っていた。
と、今度は仕上げにドライヤーで髪を乾かし始めた。
温風と優しい手つきにうとうとしかけるPi。
それでもMorkがドライヤーのスイッチを切ると少し目が覚めて振り返り
「ありがとう」
とお礼を言う。
親しき仲にも礼儀あり、だ。
というかせめてそれくらいしないと、あまりに心地よくてどんどん自分が形をなさなくなりそうなのだ。
手足をそっともがれるような、繻子の目隠しをされるような感覚。

Morkと付き合うようになるまで恋人はおろか友人もろくにいなかったので、家族以外から見返りなしの愛情をもらった経験などなく。

なのに初めての、そしておそらく、いや、絶対最後の恋人であろう人は無類の世話好きときている。
(本人は、Piにだけだよ、と言うのだが)

最初の頃こそ気恥ずかしさのあまり拒否したり、嫌々ながら受け入れたり(表向きには)していたが、最近はもう大概のことはMorkの好きにさせている。

しかし元来生真面目なPiは定期的に
(これでいいのだろうか)
という疑問の波に襲われる。

でも結局行き着く答えはいつだって同じ。
(Morkのいない人生なんてもう考えられないんだから、一人になることもないんだ)
一人になった時点で自分の人生は終わったも同然。
それは絶望にも見え、妄執という人もいるかもしれないけれど、後戻りが許されないがゆえの幸福でもある。

でも今はその強すぎる思いはしまって。
とりあえずベッドに潜り込んで。
それから
「お前も来いよ」
と、呼びかける。
頼まれずともいそいそ隣にやって来たその人の腕を自分の頭の下に潜り込ませ枕にすると
(俺にこんな決意をさせたんだからお前も覚悟しろ)
と果たし状を密かに叩きつけ、しかし、口をついて出たのは
「今日の俺は疲れているんだ」
「だから俺が寝るまでそばにいろ」
という聞き分けのない子どもの言い草。

それでもMorkは心得たとばかりに形のいい眉と目尻を下げふわりと微笑むと
「喜んで」
と言いながら、Piの背中を静かにリズミカルにトントンと軽やかに叩く。
歌詞のない子守唄。

程なく部屋には空調の音とPiの寝息の二重唱が流れ始め、Morkは眠りに落ちる直前のやけに息巻いたPiの物言いを思い出して首をかしげながらも前髪をそっと払い、その愛しい利発で無垢な額に羽毛のようなキスを落とした。