雨の向こう側

またまたFolkとPureのお話。
今回もPureの視点からになりました。
いつかはFolk側からも書きたいな。







「ヤバ…」
またまた駆り出された学部の行事の準備に奔走していたPureが校舎を出ようとすると、そこはこの国特有のスコールの叩きつけるような雨。

FoIkと正式に付き合うようになって数ヶ月。
それまでのOne Night Standを繰り返す日々とはきっぱり手を切ったPureではあるのだが幸か不幸か人脈は広がり、また元来の人懐こさと気が利くところが見込まれて、イベントのたびに声がかかり忙しく立ち働くことになって今に至る。


確かに作業をしていた教室の窓越しの空が段々暗くなっているとは思ってはいた。
傘は持っていたが経験上あまりに雨足が激しいときはさして役に立たない、とこの国で生まれ育った人間なら誰でも知っている。

(もう少ししたら小降りになるかな)
とりあえずやり過ごそうと学部棟の出入り口前の吹き抜けの階段に座った。ここなら屋根があるので濡れる心配はない。
講義はとっくに終わっている時間。周囲に学生たちの姿は見当たらない。

あまりの雨の勢いで周囲は白っぽく見えてくる。

Pureは雨が好きではない。
正確に言えば一人過ごす雨の日が嫌いなのだ。

子どもの頃も今も家には誰もいないことがほとんどだった。

母と二人暮らしだったから彼女がいなければそれは当たり前のことだったし、仕事で忙しいのなら幼いなりに納得できていたと思う。

でもPureの母親はそうではなかった。
もちろん女手一つで大学まで通わせてくれているのだから大変だったのは確かだ。そこは感謝している。

しかし、それより何より彼女の関心はいつも息子を素通りして自分の恋のことばかり。
相手と上手くいっていれば今どきティーンエイジャーもこうじゃないだろう、というぐらいはしゃいでPureのことなど眼中にない。お小遣いが増えるのが有り難い副産物だったくらいだ。

そして大変だったのは、関係がこじれたり破綻したときだ。
たださえ不安定な精神状態がより一層悪化し酒浸りになり、息子に暴言を吐き、頻繁ではなかったが手を上げることさえあった。

そういうときは手負いの野生動物のように身を隠しひたすら母親が落ち着くのを待つしかなかった。

Pureが周囲の人達の気持ち、特に負の感情を敏感に察知できるのはこれらの経験から養われたのは確実だ。なんという皮肉。

この能力?特技?はかつてPureが繰り返していた一晩の相手探しにも威力を発していた。その場限りとはいえベッドに持ち込むには恵まれた容姿だけではなく相応の駆け引きが必須なわけで、相手に不自由しなかった要因の一つでもある。

それはともかく、幼いPureが学校から、外出先から、今日のようなスコールに遭って帰宅してもバスタオルも乾いた清潔な着替えも用意されていることなどなかった。

急いで洗面所に飛び込み、体に張り付いた服を苦心しながらやっとのことで脱ぎシャワー浴びる。
その後ゴソゴソと洋服を探し、ようやくひと息ついてもまだ屋根を窓を叩く雨の音が聞こえてくる。
全てから自分を遮断する音。
薄暗い部屋。
世界中の全てから見捨てられたような気持ちになる。



昔を思い出しているうちに雨は止んでいた。

さて帰るか、Pureは立ち上がった。
ただ先程のうら寂しい記憶を引きずっているのかどうにも足取りが重い。濡れた路面。
(帰りたくないな)
今の自分が大学生なのも一瞬忘れ、そう思ってしまった。

彼のたくさんある魅力の一つの敏捷でしなやかな動きは影を潜め、のろのろ歩き、もう少しで寮のエントランスが見えてくる、とその時少し離れた真正面から見慣れたでも何よりPureの心を躍らせるスラリとした長身の人影が近づいてきた。

「FoIk!」
Pureはそれこそ小学生のように大きく手を振ってさっきまでとは打って変わって軽やかな足取りで駆け寄る。

「どうしたんだ?こんなところで?」
声が弾むのを抑えられないPureに
スマホ見なかったのか?どうも帰りが遅いから。スコールも来たし、もしかしてずぶ濡れになったんじゃないかと思ったんだ」
とFolkの言葉を受けて慌ててスマホを見ると確かに迎えに行く、というメッセージが届いていた。
「雨がすごくて通知音が聞こえなかったかも」
とPureが言うと
「さっきのはすごかったからな」
とふわりと笑った。
いつもの淡々とした話し方。
でもPureにとってはうっとりする美しい音楽だ。

「特に濡れているようじゃないな」
Pureの全身の様子をざっと見渡してFolkは言った、と思うとひょいと顔を覗き込んだ。サラサラの茶色の髪がPureの頬を掠めそうになる。
「ちょっと顔色が悪いけど?」
と眉根を寄せ気味にして聞いてきた。
もしそうなら多分さっきまで囚われていた昔の光景のせいだ。だから
「そうか?別になんともないよ」
と笑って答えた。
だって本当にそうだから。
Folkの姿を見た途端、まるで魔法のようにあの冷たい部屋が遠くへ押しやられ消えたような気がしたのだ。


それでもFoIkはまだ少し心配そうにPureを見ていた。
「どこかで雨宿りしてた?」
「うん、学部前の吹き抜けのところ」
「あそこか、じゃあ少し冷えたのかもな」
するとFoIkは手にしていたビニール袋をガサガサ言わせながら明るい水色のバスタオルを取り出し、ショールのようにPureの両肩にかけてくれた。
「スコールの後は気温も下がるし寮までそうしてたらいいよ」

ああ、いつもFolkはそうだ。
他の人が見たらどうってことのない、いや、当の本人自身が意識すらしていない言葉や振る舞いで、Pureの心の奥底の古い傷の存在を気づかせる。そのうえで「我慢しなくていいんだよ」と言われている気持ちになれるのだ。


思わずFolkの手を取る。
人前でのスキンシップは得意ではない恋人だが、不思議とPureが心細いときには邪険に振り払うことはない。
そのFoIkの察しの良さにいつも感激すると同時に、彼がまだ見せてくれない痛みのようなものを感じてしまうPureではあった。

「どうした?」
さっきよりも甘さが滲む声。
「いや、腹が減った」
「じゃあどこかで食べて帰る?」
「うーん、何か買って部屋で食いたい」
とPureは答えた。

Pureの中にはさっきの雨のようにちょっとしたきっかけで頭をもたげる幼い彼自身がいる。
いつも膝を抱え、うつむき、自分でもよくわからない悲しみに耐えている彼自身が。

それがFoIkの部屋で二人さり気なくも豊かな時間を過ごしていくうちに、小さなPureが顔をゆっくり上げ、固く結んだ手を緩めていくのを感じる。

それはPureにとって想像すら出来なかった人生の贈り物なのだ。Folkはどこまで気づいているかはわからないが。
(いつかは俺もFoIkの話を聞けたらいいんだけどな)
まあ今は思いがけず手に入れたこの宝物を大事にしよう。

嗅ぎなれた柔軟剤の匂いとその色合いさえ愛しい。
Pureはバスタオルにひとしきり顔を埋めると、いつもの人懐こい笑顔で自分より頭半分背の高い恋人の顔を見上げ、二人は手を繋いだまま歩きだした。