空港点景〜笹の葉が見る夢は〜

先日の「空港点景〜願い事〜」の後日談です。

https://yoshinashitan.hatenadiary.jp/entry/2021/07/07/102027

七夕にしてはFolkが重いかな。
まあ大概織姫と彦星も重いですもんね。
後舞台が空港じゃありません、あれま!












今日はFolkの最終コマの講義が教授の都合により珍しく休講になったので(医療系では滅多にないことなのだ)、以前から気になっていた日本食レストランにPureと二人で行くことにした。

二人が住む寮からは少し距離があるのと、何しろ人気のあるお店なので週末は予約を取るのも難しくなかなか機会がなかったのだ。

相変わらず混雑している電車に乗って最寄り駅で降り目的の店に向かっていると、歩道に笹の葉とそれに赤、青、黄色、ピンク、緑、金や銀など様々な色の細長い紙がたくさん吊るされた竹が等間隔で連なっていた。かなりの数で壮観だ。

「なんだこれ?」
物珍しそうにFolkが立ち止まって眺めだした。
「七夕っていう七月七日にする日本のお祭りというか伝統行事だよ」
Pureは答えた。
確かにこの辺りは日本食のお店が多い。
「この紙は短冊って言うんだけど、これに願い事を書いて笹の葉に吊るすと叶うらしいぞ」
「へえ、面白いな」
Webで恋愛小説を連載しているFolkは、よいネタを見つけたとばかり目を輝かせた。

「しかしお前よく知ってるな」
と少し不思議そうにFolkは言った。
「高校生のときスワンナプーム空港で見かけたことがあるんだ、そうか、そんな時期なんだな」
そう答えたPureの顔からはいつもの快活さや人懐こさが消えた。
その表情は音も色も失われた荒涼としたどこかに立ち尽くしてるかのようだ。きっとすぐ側にいる恋人のことさえ忘れている。

(まただ)
こんなふうに過去の痛みや悲しみが穿った落とし穴にはまり込んで身動きがとれなくなるPureをFolkを時折目にすることがある。

詳しいことは知らないけれど、自分と正式に付き合うようになるまでのPureの荒れた生活を見れば大体のことは想像がつく。
素人ながら結構な人数のファンのついている作家でもあり、何より寮の部屋が隣同士なのだから。

そんなとき何もできない自分の無力さに歯噛みするのもいつものことだ。
それでもPureに今立っている場所を思い出させ引き上げることができるのも自分だけなのだ、とFolkは知っている。
そのことに仄暗い優越感を覚えていることも。
誰よりPureに幸せになってほしいのに、いざそうなったら彼はFolkの元を飛び立ってしまうのではないかという謂れのない不安が胸の奥底をよぎるのだ。

裕福な家に育ちそんなに甘やかされていたわけではないが、欲しいものは基本的に手に入れることができたFolkは自他共に人にも物にもそれほど執着する方ではない、と思っていたし思われてきた。

でもPureだけは別だ。
彼を失うくらいなら、彼の極北に一緒に留まることも厭わない。
そんなふうに思える相手になんて一生のうちそうそう出会えるわけはないのだから。

だがそんなFolkの物思いは、あまりに寄る辺ない顔をしているPureが改めて視界に飛び込んでくると途端に遮られた。

「Pure、Pure」
驚かせないように、怯えさせないように、できるだけ平らかに柔らかにFolkは呼びかける。
自分より頭半分くらい背の低い彼の目を見るため、少し身をかがめながら。
すると少しずつPureの顔に温度や湿度が戻ってくる。

綺麗事を言うつもりはないし、性愛だって二人の関係においてとても大事だ。あのときの疼きや快感は体の隅々まで行き渡っている。何度だって欲しくなる。

それでもFolkが一番Pureを愛しく思うのは、絶対離したくない、と思うのはこのときだ。最愛の人が彼岸からこちら側に戻ってくる瞬間。

記憶には残らない夢の痕跡から醒めたようにPureが控えめに微笑む。
「ごめんごめん、ちょっとぼーっとしてた」
次にはもういつもの人懐こい表情を取り戻し
「何か願い事でも書くか?」 
と笹の葉の下に用意してある小さな机とその上の短冊とサインペンを指差す。

「うーん、そうだなあ」
Folkはほっそりした美しい指を顎に添え考え込む。
対してPureは
「俺は書くぞ!」
とやけに前のめりだ。さっきの虚無感はなんだったのだ、と拍子抜けするほど。

「何しろ願い事が叶ったからな」
かつて夜のネオンサインが瞬く世界の最上位に属していたのも納得のフェロモンを振りまきながら思わせぶりに微笑む。
(やめろって!)
言わんこっちゃない、周囲の人々の視線があっという間にPureに吸い寄せられている。白いシャツと黒いパンツというただの制服姿にもかかわらず、だ。

「どんな願い事が叶ったんだ?」 
とFolkが尋ねても
「ナイショ。気が向いたらいつか話してやるよ」
とウィンクひとつ。その拍子に片耳だけのピアスが妖しく光る。
(だからそういうのホントやめてくれよ!)
いろいろ逡巡を抱えながらも結局のところ心優しい恋人の常の気苦労を知ってか知らずか、Pureは楽しそうにサラサラと願い事を書き笹の葉に短冊を結んだ。

「Folkの小説がもっともっと人気が出ますように」

「余計なお世話だよ、自分のことはいいのか?」
胸に暖かいものが灯ったのが嬉しくてでも照れくさくてFolkはついつい突慳貪に言った。
「だから!俺のはもう叶ったからいいんだって」
と繰り返すPureは
「で、お前は何を書いたんだよ?」
と、FoIkが手にした短冊を覗き込もうとする。
一瞬隠そうとしたFolkだったが思い直したのか
「これだよ」
と自らきっぱりとした仕草で見せた。

「Pureがこれ以上悪夢を見ませんように」

するとほんの一瞬Pureの顔が泣きそうに歪んだ。
「なんだよこれ!変わった願い事だな」 
笑いに紛らわさないとどうにかなってしまいそうで必死だった。

「そう?でもこれは俺自身のためでもあるんだ」
Folkは笹の葉のその葉擦れの音に同化しそうな小さな声で呟いた。

Pureが夢に苛まれなくなったとき、つまり居座り続ける傷が癒えたとき、完全に癒えなくても傷跡を気にせず済むようになったとき、それでも一緒にいたい、誰よりも近くで共に歩んでいきたい。

今年の七夕の願い事はそのための小さな、でも意味のある最初の一歩なのだ。
笹の葉特有の草いきれとPureのいつもの香水が混じったこの時の匂いも覚えておこう。

願い事の話が一段落つくとお互いの顔を見合わせ刹那ふんわりと沈黙の句読点が打たれた。
その後は思い直したように
「お、ちょうどいい時間になったな」
「何がオススメなんだっけ?今日の店?」
などと他愛もないことを言いながら空腹の男子大学生カップルは笹飾りのトンネルを進んでいった。