あの日の傘 今しの花束
MorkPiのバレンタインのお話
夜勤明け、そろそろ昼食時になって起き出したMorkがリビングに入ると、その気配にも気づかないでPiは窓辺に佇みこの時間にしては薄暗い外を眺めていた。
「Pi」
まるでここではないどこかを見遣っているような彼を驚かせたくなくてMorkは自然と小さな声で呼びかけた。
「あ、Mork、起きたのか」
今日は二人揃って休日なこともあってかPiは眼鏡をかけていて、それ越しの眼差しはいつもどおり穏やかだ。
「何見てたんだ?」
尋ねながらMorkも窓辺に近づく。
「雨」
Piが囁いた。
それからテーブルの上に視線を移す。
白い陶器のどっしりとした花瓶には溢れんばかりの黄色の薔薇が飾られている。
「今年もまた随分と豪華だな」
口調こそ呆れた風味が混じっているけれど、その表情はあくまで優しく少し懐かしげだ。
続けて
「バレンタインの日が雨だとどうしたっていろいろ思い出すだろ」
眼鏡のせいなのか大学生の頃とほとんど変わらなく見える姿。
でも共に重ねた年月で身についたのか、当時にはなかったゆったりと落ち着いた雰囲気が絹のストールようにPiを包んでいる。
そんなちぐはぐさに今日もまた眩惑されながらMorkはPiの背後に立ち、そっとPiを抱きしめて柔らかな髪に鼻先を埋める。
「と言ってもあの時はまだ俺はお前と話したこともなかったよな」
「というか存在自体知らなかったし」
少しだけMorkに体重を預けながらPiがおかしそうに言う。
「だから今お前とこうしているのが不思議な気がやっぱりする」
二人の全てはMorkがNan越しではあったけれど、Piに傘を差し掛けたあの日に始まったのだ。
その大切な分岐点の記憶を確かめるかごとく首に回されたMorkの大きな手を取り、Piは一本ずつほっそりとした自分の指を絡めながら尋ねた。
「で、今年の花束の意味は?」
「愛の告白」
まだPiの髪の匂いを、そこからPiの存在そのものを味わっているMorkの声はくぐもっていて幸せそうだ。
「毎年よくやるよな」
と愉快げなPi。
「これからだってずっとやる」
何を当たり前のことを、といったいつもの調子のMork。
そして舞い降りる心地よい柔らかい沈黙。
そのままお互いの体温を感じながら、二人は強くなった雨脚が奏でる鈍色の空からの音楽に耳を傾けていた。