空港点景〜空の魚と夜の海〜

空港点景〜あの頃の君と〜 の続編です。↓

https://yoshinashitan.hatenadiary.jp/entry/2021/07/07/185714

二人の初夜。
いや、そこに至るまでが長い。
捏造多め。














(とうとう来てしまった)
今Piがいるのは古いが手入れの行き届いたこぢんまりとしたホテルのエントランス。
そこに置かれた椅子にことさら背筋をピンと伸ばして姿勢良く座っている。
時刻は夕方から夜に変わる頃。
Morkの車を降りたとき見た空は薄い紫とオレンジ色が混じって絵の具を流したようだった。

チェックインの手続きはMorkがしてくれている。
何気ない受付係とのやりとりさえどこかスマートなことにいつもながら密かに感心している。

(あれがスクールカースト上位常連の余裕ってやつか)
などととりとめもなく考えていたらMorkが
「Pi、部屋に行こう」
と声をかけてきた。

「お、おう!」
弾かれたように椅子から立ち上がったPiを見るMorkは楽しくてしょうがないという顔をしている。
何ならバンコク市内からここまでの車中でもずっとそうだった。

そして二人はエレベーターに乗り5階の部屋に向かった。
ドアの前に来るとシリンダー錠の鍵穴にMorkが鍵を入れ回した。
ガチャガチャという音がやけに生々しくPiの耳に響く。

外観やエントランスと同じく古いが清潔な部屋の中、そう広くない分否が応でも存在感を放つダブルベッド。Piの緊張は早くも限界値だ。

もう何を言うのか、どうするのが正解なのか、そもそも正解があるのかすらわからない。
ひとまず荷物を床に置くと、ベッドの端に座った。どうしても姿勢を良くしてしまう。レトリックではなく目眩がする。

そんなPiの様子を入口辺りで引き続き愉快そうにに見ていたMorkが
「とりあえず晩御飯でも食べに行くか?」
と声をかけると、Piはビクッと身じろぎし
「うん、そうだな」
と答えはしたもののどこか上の空だ。

するとMorkはPiの隣に座り上背の割には華奢な肩を抱いた。
「何するんだよ!」
と一旦は振り払おうとしたPiだがすぐに諦めたように大人しくなり、Morkの肩に頭をもたせかけた。そして大きな溜息をつくと
「ごめん、ホント俺こういうの慣れてなくて、っていうか初めてだし」
力なく小声で呟くと
「呆れた?」
とMorkの顔を見た。

お互いの部屋に泊まり一緒のベッドで眠ったことも何度かある。もちろんただ寝ていたわけではない。
ただ恋人と二人ホテルに泊まるなどというのはもちろん初めてだ。
両親や、なんと言ってもすぐ上の兄Dueanを言いくるめるのも大変だった。

付き合い始める前後のことを思えばMorkの力技とも言えるあれやこれやのおかげで、Piは自分が愛されてもいい存在であることを少しずつ実感しつつある。

だがこれまでほとんど「そこにいないもの」か、「使い勝手のいい存在」としてしか扱われてこなかった辛さや惨めさ、それに起因する気後れはそうそう簡単に克服できるものではない。

そんなPiの心情を誰よりもよくわかっているMorkは
「呆れてなんかないよ」
と穏やかな声で答え、今度は優しくPiの髪を梳くようにして撫でた。

そう、呆れるどころか!
申し訳無さそうにMorkを上目遣いで見つめる視線の揺らめき、無防備に長い手足を持て余し気味に身を委ねるしどけなさ、そして二人がいるのはダブルベッドの上。その様はあまりにも刺激的だった。

(いきなりこれかよ、勘弁してくれ)
早速理性の耐久試験を課せられている恋人の心中を知ってか知らずか、Piは安心したように目を閉じてしまっている。
元々三人兄弟の末っ子なので「この人は大丈夫」と確信すればそれまでの反抗的な態度はどこへやら、当然のように甘えてくる。

一見平静な表情ながらMorkは内心必死にPiを押し倒しそうになる己を叱咤し
「とにかく何か食べよう」
とPiの体を支えながら立ち上がらせた。そんな自分を誰か誉めてくれ、とMorkは誰ともなく訴えたくなった。

そんなこんなで近くのカフェで夕食をとるとさすがにPiも大分元気を取り戻し、ホテルに帰る道すがら当初の目的について二人で話し合った。

そう、今回ここに来たのはスワンナプーム空港を離着陸する飛行機の撮影スポットとして有名だからなのだ。

発端は数週間前の週末Piの家で二人昔のアルバムを見ていたときのその中の一枚だった。
それはPiが二人の兄と一緒にジェット機をバックに写っている写真で、珍しく何の屈託もない笑顔を見せていた。 
それを見た途端
「絶対同じところでPiの写真を撮ってやる!」
とMorkに謎の闘志が湧いたのだ。

その場所こそが今夜泊まるホテルの屋上なのである。
そして写真撮影だけが目的でないことも二人共よくわかっていた。

ひとまず一旦部屋に戻り、ベッドの方はできるだけ見ないようにして(土台無理なのだが)、Morkはカメラの準備を始めた。

何しろ昔からその恵まれた顔立ちと抜群のスタイルで目立つ存在だったので写真を撮られる機会がやたら多く、次第に撮る方にも興味を持つようになる、まさに芸能人の法則そのままに、手元に一通りのものはあった。だが夜間、それも高速で進む飛行機を撮るとなるとそれ相応のものが必要でかなり奮発して買い足した。

対照的にPiはこれまで写真を撮るのも撮られるのも縁がなく嫌いだったのだが、そこは根っからの理系人間なのでMorkのカメラやレンズや周辺機器を楽しそうに見ていた。
その間はこの後待っている最大の命題のことを意識せずに済んだものもありがたかった。

「うん、こんなもんかな、じゃ行くか」
Morkが言い二人は屋上に上がった。

さすがに撮影スポットとして名高いだけに多くの人で賑わっている。

そんな中Morkはスマホの画面と周囲をしきりに見比べている。
「何してるんだ?」
Piが尋ねると
「この写真と同じアングルを探しているんだ」
スマホに保存しておいた三人兄弟揃い踏みの写真を見せる。
「そんなにこだわらなくても」
Morkのあまりに真剣な表情が微笑ましくて思わずPiは笑ってしまった。しかしMorkはそれにも気づかないようだった。
それから少しして
「あった!」
といつも落ち着いているMorkにしては珍しく子どものようにはしゃいだ声を上げ
「絶対ここだ!ほらPi来て、ここに立って!」
とPiを目的の場所のフェンスの前に連れてきた。
そしてスマホで時刻を確認し
「後5分位で飛行機が離陸するから待ってて」
と告げ、急いで準備を始めた。
程なくして独特の轟音が周囲に響き渡り
「Piこっち向いて!」
とMorkが叫び、Piは恋人が構えるカメラのファインダーをじっと見つめた。


さて部屋に戻った二人はまた並んでベッドに座り、先程の写真を確認した。飛行機の姿をとらえるため高速連写したのでおびただしい枚数だ。中には目を瞑っていたり滑稽なものもあったがおおむね自分はリラックスした表情だったし、飛行機も臨場感と迫力があったしでPiは満足だった。

しかしMorkは納得のいかない顔をしている。
「どれも被写体が俺にしてはよく撮れてるよ」
とPiが言っても
「この写真の笑顔には敵わないんだよな」
と例の写真を見ながら残念そうだ。
「こんな何も考えていない頃みたいなわけにはいかないよ」
と苦笑交じりにPiが言っても
「Piがこれまで誰とも付き合ったことないのは知ってたけど」
「悪かったなっ!どうせお前みたいにモテまくってきたやつとは違うよ」
「ごめんごめん、そうじゃなくて、だからお前の過去に嫉妬することなんかないと思ってたんだ」
「でもこの間この写真を見たとき」
ー俺の前でこんなに楽しそうに笑ってくれたことがあったかな、と思ったんだー
小さな声で寂しそうに呟くMorkが、それこそ幼子のようでPiの中の愛しさが湧き出してきた。
(変なやつ。いつも自信満々に俺をからかってばかりなのに)

「Mork」
そのしなやかに長い腕をことさら大きく広げて呼びかけると静かに恋人を抱きしめた。
そして耳元で囁く。
「昔の写真の俺の方が今の俺よりもいいのか?」

すると心をどこか遠くに置いてきたような茫洋としたMorkの目に光が戻り、魅惑的な唇が笑いを刻みだす。
「さあ、どうだろう」
試してみないとな、と愛してやまないPiの耳のほくろにキスしながら今度こそ本当に実はMorkに引けを取らない均整の取れた肢体をゆっくり押し倒した。

そしてPiの顔中にキスの雨を降らす。
ホテル特有の糊のきいた少し固めのシーツの感触と嗅ぎなれたMorkの匂いに陶然としていたPiだったが、Morkの手がシャツのボタンにかかったところでハッとした。
「シャワー浴びてないっ!」
「かまわないよ」
「駄目だって!」
渾身の力でMorkの体を押しのけると、すっかりいつもの調子を取り戻したその顔をPiは睨みつけた。

「シャワー浴びないんだったら今日はこれ以上しない!」
ときっぱりと言い渡す。
こうなったらPiを翻意させるのは困難なことをよく知っているMorkはあっさり引き下がる。
まるで全身の毛を逆立ているとびきり器量良しの猫だ。

「わかった、わかった」
それでも
「でもそれでPiは我慢できるのか」
とからかうのは忘れない。

ますます険しい表情になったPiだがその顔の朱は一層濃くなるばかりなのでMorkにとってはご褒美でしかない。

やけに勇ましい足取りでまずPiが先にシャワーに行き、Morkが続いた。

まだ乾いていない髪のままベッドの端に座っているPiときたらまさに眦を決するといった様相だ。

「これから決闘しようってんじゃないんだから」
シャワー室からバスタオルで髪を拭きながら出てきたMorkは笑ってしまった。

「そりゃあお前は経験豊富だろうからそんなことが言えるんだよ!」
今にも鋭い爪で飛びかからんばかりだ。
(いやまあ確かに初めてってわけじゃないけど)
Morkとて難関の医学部に現役合格したのだ。そんなに恋愛に割く時間がなかったことくらい想像がつくだろうに。

でも今のPiに何を言ってもなかなか素直に聞いてくれないだろう。
だからいつもの、でも一番効果的な方法を選ぶのだ。

Piの前にひざまずき、そして右の手を優しく握ると自分の心臓のあたりに手のひらを導く。
「いつも言っているだろ、お前と一緒にいると心臓の鼓動が速くなるんだ」 
「こんなふうになるのはお前といるときだけだ」

すると緊張のあまり引き攣っていたPiの涼やかな目元がふっと和らいだ。
いつものことながらMorkにも余裕なんかないことを確認するとやっと安心したようだ。
「今からこんなんで大丈夫なのか」
これからもっとドキドキすることをするんだろう。
いたずらっぽくも色香たっぷりのPiの囁き。
本当に初めてなのか問いただしたいのはこっちの方だ。

そしてそれが最後通牒だった。
「もう止められないぞ」
Morkはもうその声に欲望が滲むのを隠さなかった。
もちろんPiにもたらす苦痛はできるだけ少なくしたいのだが。
優しくはするつもりだけど、
それは自分に言い聞かせるような口調だ。
「受けて立つよ」
Piは決然と答えた。
想定外の事態になるとすぐ焦り、能力はあるのに自己評価の低さから周囲に蔑ろにされがちだったPi。
でも自分の定めた目標のためには努力を惜しまず達成していく強さを秘めている。
その一見相反するものを抱えているのが彼の魅力でMorkを惹きつけてやまないのだ。
覚悟を決めた恋人は崇高であり妖艶だ。

Morkの体がPiに重なる。
お互いの服を剥ぎ取り素肌を合わせる心地よさに溺れる。

そしてMorkが自分でも呆れるほど執着しているPiの耳のほくろにまたもや口づけたとき、飛行機の轟音が聞こえてきた。

一瞬二人の動きが止まる。
音の出処を探るようにPiの視線がさまようのを見た途端MorkはPiの両方の手を握り直した。
一本一本すべての指を執拗に絡めていく。
「どうした?」
いつもと違う様子にPiがあどけなく尋ねる。

「どこにも行かないでくれ」
切羽詰まったMorkの声音にPiの官能が呼び覚まされる。
「Mork」
途切れ途切れの息の合間にそれでもほほえみながら掠れ気味の声で語りかける。
「飛行機は好きだし、また乗ってみたいよ」
「でもお前と一緒じゃなきゃいやだ」
それを聞いてMorkは息をつく。

ふと窓の外を目をやればそこは夜の海と言えなくもない濃藍が広がっている。
そうか、恋い焦がれ続けた空の魚はこの海を泳いで俺のもとに来てくれたんだな。
絶対に手放さない、そのもう何度目かわからない決心がMorkの体の芯を燃やし、後はその熱をPiに注ぎ込むことしか考えられなくなった。






君たちは知っているだろうか、空の魚がどんなに甘く誘惑に満ちた鳴き声をしているのか。
どんなふうにそのたおやかな身をくねらせるのか。


悪いが誰にも教える気はない。