チョコレートと子守唄

「空から訪うもの」↓
https://yoshinashitan.hatenadiary.jp/entry/2021/08/28/114609
の後日譚として。

後「月下の花火」の話も少しだけ出てきます↓
https://yoshinashitan.hatenadiary.jp/entry/2021/07/24/171122


後バレンタインにチョコレートという日本独特の文化を使わせてもらいました。
タイでは特にチョコレートを贈る習慣はないらしいです(笑)
(2021.8.30追記)








「ただいま、遅くなってごめん」
病院で急を要する事態が起こったのだろう、
「これから病院を出る」
というメッセージが届いた時点で、予定の帰宅時間を大幅に過ぎていた。

Morkの仕事柄頻繁にあることなので特にPiは気にしていなかった。
ただ彼の疲労が心配なだけだ。

なのでドアを開けた途端聞こえた声が弾んでいて晴れやかだったので意外だった。

そして声の主の姿の前にリビングルームに漂ってきた馴染みのある控えめな清々しい香り。

(これって?)

すると大きな花束を大切そうに抱えた恋人が笑顔で現れた。
(何なんだ?いや、しかしいつまでたっても様になるなあ)
口惜しいので当の本人には言ってやらないけれど。

「Pi、バレンタインデーおめでとう」
差し出された花束を少しの困惑のうちに受け取る。
「お、おう、ありがとう。すごい立派な花束だな」
鮮明な色彩なのにどこか柔らかい印象のそれにほっそりとした鼻筋を近づけ
ジャスミン?いい匂いだな」
とPiが言うと
「何か思い出さない?」
と期待と付き合う前も後も変わらない優しいからかいを含んだ眼差しをMorkが向けてくる。
「何かって?うーん、何だろう」
首をかしげて考えるPiは無邪気そのもので、大学院で日々研鑽を積んでいる若手研究者とはとても思えない。

「あ!」
急に大きな声を上げ、
「お前と行くロイクラトン祭り!クラトンってジャスミンの花が使われていることが多いだろ」
「さっきからどこかで嗅いだ匂いだなあって思ってたんだよ」
正解を答えられた生徒のように心なしか胸を張るPi。

そんな彼をずっと見つめるMorkはまだ含みを持たせた表情だ。

「え、なに?違うの?」
不思議そうに目を瞠るPiに
「ヒントはバレンタインデーと屋上かな」
Morkから出されたそのヒントをPiはオウム返しに小声でブツブツ呟いていたが、はっと何かに気づいたような顔をした、と
「風船?」
見ればPiの顔は紅を刷いたように染まっている。
「お前なあ」
呆れたようにそれでも昔のように目を逸らすことはなく、Morkの顔をまじまじと見つめる。
「一体何年前のことだと思ってるんだよ」
「何年前とか関係ない。あの日から俺とお前はちゃんと始まったんだから」
Morkの声はあくまで甘く面白がっているようで真摯だから困ってしまう。
もうコンタクトを外して眼鏡をかけているPiの切れ長の目が少し潤む。
「ま、それはそうなんだけど」
「別にあの頃の自分を否定するつもりはないよ。
あのときの俺らがあって今の俺らがいるわけだし」
「でも、もう、とにかくこっ恥ずかしいんだよ。なんでお前はいつもいつも臆面もなくこんなことができるんだ!」
そしてPiは赤い顔のままどこにあったかな、などと言いながら花瓶を探し始めた。

やがて寝室のクローゼットから目的のものを引っ張り出してくると、素っ気ない物言いとは対照的に丁寧にリボンをほどき、包装紙をはずし、慈しむような手つきでMorkの思いが詰め込まれた花束を白い花瓶に飾った。
眼鏡姿だからか、出会ったばかりの頃のPiの面影が濃くてMorkはひときわ嬉しくなる。


その後はPiがそれでもバレンタインデーだから、と買ってきた二人お気に入りの中国料理のお店のちょっと豪華なテイクアウトで夕食をとり、二人シャワーも済ませてさあ寝ようか、となったところで
「そうだ、ちょっと待ってて」
とPiが一旦寝室から出て行った。

暫くすると電子レンジの出来上がりを告げる電子音がして、PiがMorkのマグカップを持って来ると先にベッドに入っていた彼に手渡した。

「ココア?」
中身を見てMorkが尋ねると
「ううん、チョコレートリキュールをホットミルクで割ったんだ」
「バレンタインデーだからチョコレートかなって。本当はウィスキーとかに入れて飲んでもらおうかと思ってたんだけど、今日は遅くなったからこれで」
「ありがとう」
チョコレートと仄かなお酒の香りが鼻に抜け、温かいミルクがなんとも心地よくMorkはまだ芯に残っていた一日の緊張と疲れがほぐれていく感覚を堪能した。

Morkが飲み干したカップを受け取り、Piはキッチンへ行こうとしたがその前に
「花束ありがとう、懐かしかった」
とまだ羞じらいの気配を微かに纏いつつそれでも落ち着いた声で囁き
「今日もお疲れ様、おやすみ」
とMorkの額に静かにキスをした。
「ん、ならよかった」
半分眠りかけているMorkは寝言のようにそれでも律儀に答えた。

ほどなくしてPiもベッドに入ったが、そのときはもうMorkは静かな寝息を立てていた。
その寝顔の今度は両方の瞼にキスをしてPiも目を閉じる。

ジャスミンとチョコレートリキュールの香りが子守唄のように二人をくるむ。そうして今年の愛を伝え合う日の夜は更けていったのだった。